「自分という新たなロールモデルを作る」___ テニスを武器にアスリート留学した私が見つけた新たな居場所
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蔭山 美憂
・WILL|「自分」という新たなロールモデルを作る
・アスリート留学制度で渡米。University of New Mexicoを卒業、international business※1を専攻
・テニスと学業を両立し、GPA4.27※2の成績を残す
※1:ビジネス学部で国際的な学問を学ぶ
※2:GPA4.0が最大値。より優秀な成績を納めた学生と認められると4.0を超過する
Contents
「みんなと同じではなく、自分の道を突き進む」テニスを武器に生きてきた私にしか語れない異色の学生生活
– 初めに、ジールスには入社する全員が自分のWILLを記す「WILLボード」という壁があるのですが、蔭山さんはそこに何を書くか決めていますか?
「自分という新たなロールモデルを作る」と書きます。社内で私と遭遇したら「あっ、憧れのミュウさんだ!」と言ってもらえるような存在になりたいなと。自分がメンバーの新たな見本になるような、それぐらいのレベルまで組織の中核を担える人材として活躍したいです。今までにない、自分だけの道を切り開きたいです。
– いいですね!蔭山さんのプロフィールを見ると、一般的な大学生とは異なるキャリアを歩んでいるように感じたのですが、生い立ちについて伺ってもいいですか?そこから、蔭山さんが掲げる意志の背景が見えてくる気がします。
“みんなと同じではなく、自分の道を突き進む”
私は、小学校4年生の時に本格的に始めたテニスをつい最近までやっていました。まさに、テニス一筋。とはいえ、一般的なアスリート街道ではなく、割と異色なキャリアを歩んできました。そこにある「自分にとって最善の道を模索し選ぶ」という姿勢についてお話できたらと思います。
私の両親は、幼い頃から選択肢を与えて、最後の決断は本人に任せるという教育方針で育ててくれました。そのおかげもあって、自分の意見はずらさず、局面を見極めながら状況判断してやり抜く力が身についていきました。
自分の中で、象徴的な最初の出来事が、高校受験です。テニスクラブの友人のほとんどがスポーツ推薦で進路を決める中、私も推薦はもらっていたものの、あえて一般入試を受けて公立高校へ進学しました。
“テニスが強みだけの人間にはなりたくなかった”
あくまで、私の一例としての話ですが「みんながこうするから私もこうする」という考え方が嫌だったんです。大学進学でも、その考え方は如実に現れました。テニスを仕事にするには限界を感じていた中、日本の大学にスポーツ推薦で進学し、学費を払いながらテニスを続けることはやりたくない。だけど、テニスを高校で辞めてしまうのはどうなのかという気持ち。そんな時、自分がこれまで頑張っていたテニスを武器に、海外大学に留学できる制度があることを知ったんです。しかも、かかる経費は渡航費のみ。(学費と生活費は免除)異国の地”アメリカ”で新たな挑戦ができる、「こんな機会滅多にない、行くしかない!」と思って、挑戦することを決断しました。
高校3年の7月までテニスをして、そこから必死の受験勉強で勝ち取った異国の地での挑戦はやはりハードで、何度も帰りたいと思いましたが、それでもやりきって本当に良かったと思っています。
– すごい!みんなと同じではなく、自分の道を突き進んでいますね。実際、アメリカでの学生生活はどうでしたか?
正直、初めはめちゃくちゃ大変なことだらけでした。英語が喋れずコミュニケーションが取れなかったり、テニスコーチと衝突したり。実は私、最初に入学したアメリカの大学と卒業した大学が違うんです(笑)。日本の場合、テニスは個人競技の色が強いのですが、アメリカは配点などの仕組みもあって団体色が強く、自己表現の場であるプレーに制限がかかっていました。空気は読めるけど、明らかに価値観が合わない。ストレスは募るばかり。最初は「やめたら逃げ、我慢すればいい」と思っていましたが、両親や高校時代にお世話になった人たちに相談し、大学1年生の終わりに転校を決意しました。
転校先は、高校時代にご縁のあったコーチがいる大学で、当時から私のプレースタイルを評価してくれていました。そのおかげもあって、残りの3年間はアメリカのスタイルと自分の個性を活かしたスタイルの融合がテニスで実現できました。
テニスは集大成と決めていたのですが、学業にもひたすら挑みまくって、大学の成績でも全校生徒の最大値がGPA4.0と言われる中、GPA4.27を勝ち取ったのは自分にとっての誇りです。
前例に囚われず、グローバルに挑戦している日本企業で働きたい_ 1次面接でビビッときたスタートアップの正体
– ありがとうございます!海外大学に在学されながらだと就職活動も難しかったと思うのですが就職活動についても聞いていいですか?
就活は、テニスのシーズン中に入れたくなかったので、大学3年の3月ぐらいから(卒業の1年2ヶ月前)始めていました。最初は、外資系企業も見ていたのですが、日本に拠点を置く大企業を中心に受けていました。理由は、
”アメリカでの経験が日本に拠点を置く企業で働く上で大きな差別化につながる”
と思ったからです。だから、日本企業だけどグローバルに挑戦できる機会がある企業を選んでいました。
– 留学経験は大きなアドバンテージになりますよね。日経大手からジールスにはどうやってたどり着いたんですか?
出会ったのは「ボストンキャリアフォーラム」でした。ちょうど、ジールスがグローバルな新卒採用を本格的に始めたタイミングだったようです。私は就活を始めてから約5ヶ月が経ち、15社以上の企業を見る中で、なんとなく働きたい企業像が明らかになってきたタイミングでした。
前例に囚われず、自由に挑戦している企業で働きたい
企業ページからエントリーするなり、1次面接でビビッときたんです。他の企業があまり手触り感がない中、ジールスは面接が終わった後、とてもポジティブな好印象を受けたんです。具体的には、数々のプロフェッショナルたちが次々とジョインし、グローバルに事業拡大しているフェーズに新卒から携われる点でした。
スタートアップも数多あるけど、こんな経験できる企業って稀有なんじゃないか。私にすごく響きました。他にも、企業選びの軸に合致していた点が挙げられます。
軸は「一緒に働きたいと思える雰囲気であること」なのですが、細分化すると「言いたいことが言える」「主体的に自ら行動できる」の2つでした。
どの社員さんの話を聞いても、みんな口を揃えて職場環境や働く人のことを話してくれるので嘘偽りはないなと思いました。実際、今年の6月から内定者インターンとして働いているのですが、あの時の判断は間違いじゃなかったなと実感しています。
–All our goal can come true, if we have the courage to pursue them− 日本の「おもてなし」を発信し、世界をぶち上げる
– 最後に、ジールスが目指す「日本から世界をぶち上げる」を蔭山さんはどう実現したいと考えていますか?
”とにかくチャンスに飛びつく”
”日本の「おもてなし」を世界に発信し続ける”
「日本から世界をぶちあげる」は私一人でなんとかできるものではないと考えています。そこに繋がる1ピースになりたい。だからこの想いを根底に持ち、目の前のことに向かって行動し続けたいと思っています。その先で振り返った時に「日本から世界がぶち上がった」姿をみたいです。
– 具体的に蔭山さんはどんな挑戦をやってみたいですか?
All our goal can come true, if we have the courage to pursue them
目標は必ず叶う。それを追う勇気があれば。
私の好きな言葉です。今まで困難はたくさんあったけど、諦めずに向き合って、コツコツ頑張ってきたから現在の自分が存在すると思っています。
ジールスでは、オーナーシップを持って、自分から意見を発信して上司の方にも食らいついていけるような人材になりたいです。オーナーシップを持つからには、組織全体を俯瞰して見てサポートする場面は全力でサポートするなど、組織マネジメントの上流で物事を考えられるようにならないといけないと思っています。
私は、5月に大学を卒業したので一足早く10月に入社するのですが、最初の配属先はPeople&Culture部で採用に携わる仕事になりそうです。内定者インターンの時に自ら手を挙げやらせてもらっている、海外向けのPR業務も継続し、自分にしかできない仕事を一つでも多くつくっていきたいと思います。
「自分」という新たなロールモデルになれる未来を信じて
みなさんよろしくお願いします!